人の顔色ばかり気にしていた私が、自分らしさを取り戻すまで

マインド

明るく無邪気だった子ども時代

私は家族の中ではムードメーカーで、

お調子者で、人を笑わせることが大好きな子どもでした。

楽しいことを見つけては笑い、いつも明るく元気。

そんな無邪気な私が、大好きでした。

でも、学校に通うようになってから少しずつ変わっていきました。

気づけば、人の顔色を気にするようになっていたんです。

自分を隠すようになった学生時代

仲間外れにされた経験が、私の心を静かに傷つけました。

何がいけなかったのか、今でも分かりません。

でも気づけば、「私という存在がダメなんだ」と思い込んで、

本来の自分を隠すようになりました。

絵を描くことで自分の居場所を見つけようとしていたけれど、

クラスにも部活動にも馴染めず、

友達の輪に入るたびに、距離を取られるような感覚がありました。

無視されることもありましたが、今思えばそれは立派ないじめでした。

私は、人に嫌われないように…と気を張りながら、

少しずつ“人に合わせる自分”を作り上げていったのです。

大人になっても残った“空気を読むクセ”

そんな癖は、大人になっても自然と続いていて、

自分でも気づかないうちに、いつもまわりを優先してしまう。

無意識に空気を読み、合わせてしまう。

でも今は、昔のような「苦しさ」は感じていません。

たしかに今でも敏感に空気は読むけれど、

「今は静かにしよう」「今は話しかけよう」と、

自分で選んで行動できるようになりました。

無理することもあるけれど、疲れるのは“たまに”だけです。

人が好き。だからこそ合わせてきた

ふと思うんです。

もし人間関係が本当に嫌いなら、

私はとっくに距離を置いていただろうって。

それでも私は人と関わることが好きで、

だからこそ合わせてきたんだなって、今は思える。

「人が好き」な自分を発見できて、

そんな自分を少し誇らしく思うようになりました。

今では「明るいね」と言ってもらえることも増え、

昔のような無邪気さを、少しずつ取り戻している気がします。

苦しい過去が教えてくれたこと

ブログを書く理由も、きっとそこにあります。

あの頃の私のように、

人の顔色を気にして苦しんでいる誰かの力になれたらと思うから。

過去を変えることはできないけれど、

その過去があったからこそ、

人の痛みに寄り添える今の私がいる。

大人になった今、気づけばまわりには

優しい人たちばかりが集まってきています。

今の職場も、自分で選んだ場所。

社長は気持ちを理解してくれる素敵な人で、

この場所で働けていることが、本当にありがたいと感じます。

自分を信じて、今を生きていく

「引き寄せ」って、あるのかもしれません。

望みを持って行動すれば、ちゃんと出会える。

過去に囚われすぎず、「今の自分」を大切にできたとき、

ようやく前に進めるのかもしれません。

つらい経験を否定しなくていい。

でもそれだけに縛られず、今の自分に目を向けてみてください。

誰よりも自分のことを知っているのは、自分自身。

ゆっくりでも大丈夫。

少しずつ、自分らしさを取り戻していけたら、それでいいんです。

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